Kojin Kumagai

April 6, 2022

Estonia & IT

日本語は下へ:
This is the story about Estonia, where much of its history is about being invaded by different neighboring countries, most recently Russia.

This is also the story about Estonia, which has become the most advanced IT country in the world, since regaining its independence just 31 years ago.

There's a lot we can learn from its unique experience, where there has mostly been no right answer because Estonia is the one that makes it.

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(以下は先日、とある日本の大学で講演した際のスクリプトを少し修正したもの)

導入: ウクライナの件

ここ数週間世界を騒がせているロシアのウクライナ侵攻、皆さんはどのように見ているだろうか?テレビで報道されているプーチン氏の言動は、非人道的で心痛むものばかりだ。しかしこのような事態は今に始まった事ではない。

プーチン氏は、20年以上も前からロシア周辺で似たような戦争を起こしている。そしてエストニアも、そんなロシアの脅威にさらされてきた国の一つ。しかし私たち日本人は、今回の戦争に至るまで、ほとんどロシアを取り巻く問題と周辺諸国への脅威について、注意を払っていなかった。

問題が表面化している今だからこそ、リアルな視点で学べることがある。エストニアがなぜ世界最先端のIT立国と呼ばれているのか。その歩みから何が学べるのか、考えてみたい。

エストニアについて

そもそもエストニアとはどんな国か、ほとんどの人が詳しくは知らないだろう。エストニアはバルト三国を形成する一国であり、南にラトビア、東にロシア、湾を挟んで北にフィンランドと接している。九州より少し大きいくらいの国土に、長崎県と同じくらいの約130万人が暮らしている小国だ。

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ちなみに人口の70%弱はエストニア系、25%はロシア系、2%はウクライナ系である。地域的には北欧や東欧に区分されるが、旧ソ連国としての印象が最も強いだろう。それもそのはずで、最後に独立したのはわずか31年前。日本はすでに平成の時代である。

首都タリンには世界遺産の旧市街地があり、周りを囲う城壁はヨーロッパで最も保存状態がいいとされている。魔女の宅急便のモデルになった都市の一つでもあり、毎年世界中から訪れる観光客で賑わいを見せる。

しかしエストニア人が最も誇りに思うのはその自然である。世界でもトップレベルで空気が澄んでいるエストニアでは、人と自然が豊かに共存している。

エストニアのIT

さて、そろそろ本題に移ろう。エストニアは世界で最も先進的なIT国家と言われている。

簡単に言えば、行政サービスの99%がオンラインで完結するIT基盤がある。エストニア市民は結婚、離婚、不動産売買以外であれば、家を出ず、人に会わず、書類を一枚も交わさずに行政手続きができる。納税も、署名も、国政投票も、会社登記も、1時間もかからない。

エストニア人は、生まれたら名前よりも先に個人番号が付与される。その番号が刻まれたIDカード一枚で、全ての手続きが完結する。

しかし驚くのはまだ早い。エストニア政府はこのほとんど万能とも言えるIDカードを、世界中の人々に解放したのだ。e-Residencyと呼ばれるサービスでは、申請すれば誰でもエストニアのバーチャル国民になれる。

これらはあくまでも、IT基盤の表面部分であり、それを支える仕組みにエストニアのIT国家たる所以がある。全容をまとめると、エストニアITの凄さは革新、スピード、浸透の3点に凝縮できる。それぞれを解き明かすために、エストニアの歴史背景に少し触れよう。

エストニアの歴史 

エストニアは苦い歴史を歩んできた国である。それは一言で表すなら、他国の支配を超えてアイデンティティを継承した歴史と言える。先ほど「最後に独立した」と表現したのはそのためである。

エストニアには、独立を祝う祝日が2つある。一つ目は、約100年前にロシア帝国から独立した2月24日の独立記念日。奇しくも先月ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したのと同じ日である。そして二つ目は、31年前に旧ソ連からの独立を回復した、8月20日の独立回復記念日だ。

しかしこれらはごく最近の歴史であって、エストニアは1200年代以降のほとんどを他国の支配下で過ごしている。ロシアに加えてドイツ、デンマーク、スウェーデンの支配を合わせると700年以上である。

この長い歴史を通して、エストニア人は自分達のアイデンティティは形では残せずとも、心の中で守り抜いてきた。そんな長い抑圧を経て、1991年にようやく独立したエストニアだが、犠牲は大きく、険しい道を歩むことになる。

ゼロからの再出発

大国ソ連からの独立が意味すること、それは自力で国を成り立たせる必要があるということだった。ただでさえ少ない人口が独立から10年足らずで10%減り、リソースがほとんどない状態で国を立て直す必要があったのだ。

そんなまっさらな状態で国の舵取りを任されたのが、平均年齢35歳の若い政府だった。希望がほとんどないような状況でも、彼らには分かっている事があった。それはエストニア人がスマートであるということだ。

エストニアという国が独立を維持できなかった理由は単に国力の差であり、国民の愚かさではないと知っていた。だから独立直後の政府は、国民がスマートであるために欠かせない教育、そして小国でも大国に対抗できる可能性を信じてITへの投資を積極的におこなったのだ。

ちなみに当時の国がITに投資するということは、今のように当たり前のことではない。インターネットも普及しておらず、ほとんどの人が電子メールも送受信した事がない時代である。にもかかわらず、独立から7年後には全ての学校にコンピュータが配備され、そのまた4年後には前述のIDカードが使えるようになった。

国自体がスタートアップ

このように、エストニアは独立を機にIT国家として、革新的な動きをかなりのスピードで実現している。これを例えるなら、国まるごと急成長するスタートアップのようである。

それも関係するのか、エストニアはヨーロッパ随一のスタートアップ大国でもある。あのSkypeもエストニア発だ。まるで、変化をし続ける必要がある、さもなくば生き延びることができない、と国民の意識レベルで刷り込まれているとさえ感じる。

教育への投資

ちなみに、革新、スピードに加えて、浸透がポイントであると言ったが、浸透には二つの意味がある。それはハードとソフトだ。ここでのハードとは、技術やインフラなどの仕組みを、ソフトはそれを利用する人の知識や理解を意味する。

つまりソフトとは教育によって育まれるものであり、エストニアがIT国家として成長できたのは、教育に早くから投資した賜物でもあるということだ。

その結果、エストニアは国際学力テストPISAにおける3科目(数学、読解、科学)全てでヨーロッパ1位となっている。もちろんエストニアはIT教育でも世界の先駆け的存在であり、2020年までに全ての教材がデジタル化されている。

次に教育に投資することの大切さを考えるため、私たちが生きる今の環境を見渡してみよう。

ゼロトラストの時代

先ほどハードとソフトの話をしたが、今の時代、ソフトがより大切で、より難しい。情報や技術に誰でもアクセスできる世の中で、人間がそれらとどう付き合うかが問われているからだ。近年増加の一途を辿るハッキング事件を踏まえれば、侵入口はどこにでもあることが分かるだろう。

そしてもはや、企業や学校などの組織が対策すれば済む状況ではなく、一人ひとりの意識が大切である、ゼロトラストの時代に突入しているのだ。

分かりやすい例は、ここ2年間続くコロナウイルスによるパンデミック、そして最近のロシアによるウクライナ侵攻だろう。どちらも実際に起こるまでは想像し難いが、起こってしまった今は他人事では済ませられないほど甚大な影響を及ぼしている。

しかし幸い、ここでもエストニアに学べることがある。

ロシアからのサイバー攻撃

2007年、エストニアはロシアから、当時では世界最大規模のサイバー攻撃を受けた。それは独立以来エストニアを襲った最大の悪夢であり、かつての支配国から攻撃を受けることの恐怖は、私たち日本人には想像し得ないものである。

実際に銀行、メディア、政府サービスなどのWebサイトを対象とする攻撃は22日間にも及び、サービスの中断や完全な停止に追い込まれた。

しかしエストニアは、事前対策と事後対応を間違えなかった。事前対策とは、独立から築き上げてきた国のIT基盤であり、事後対応とは、世界に向けてサイバー攻撃の脅威を発信したことである。事後対応の結果、翌2008年にNATOのサイバーセキュリティ本部(NATO CCDCOE)がエストニアに設置されている。

さらにその後、エストニアは国が物理的になくなるかもしれない最悪の事態を想定し、世界で初めてデータ大使館を国外に設置した。データ大使館はルクセンブルクに置かれ、エストニア国民の重要なデータが厳重にバックアップされている。

データは誰のものか

ここで一つの疑問が浮かんでくる。

政府が主導でIT化を推進できるのは凄いことだが、国民は全てがデータで管理されていることに何とも思わないのか?ということだ。透明性があるのはいいことだが、全ての情報を政府が握っているというのは不安ではないのか?

実はこれは重要なポイントで、ハード、つまり仕組みと、ソフト、つまり国民の理解の相互作用が起こっている。

まずハードに関して、エストニアのIT基盤の仕組みとして、データは重複して保存されず、誰が何のためにデータを参照したのかが全て分かるようになっている。さらには自身のデータであれば、たとえ相手が国の機関であっても情報提供を拒否することができる。これは主にX-Roadというスシテムによって実現しているのだが、ここでは説明を省こう。

次にソフトに関してだ。上の仕組みを国民が理解すれば、自分のデータは自分のものであると保証された上で透明な仕組みとなっていることが分かるため、不安を抱くことはない。ただし理解できれば、である。

IT化の本質とは

まとめると、エストニアが進めてきたIT化の本質とは、予測できない将来への準備であり、そのために一人ひとりがITリテラシーを身につける教育体制が不可欠である、ということである。

そして最も重要な問いかけは、何のためのITなのか?ということだろう。エストニアにとってそれは、国家の生き残りのためであった。

ここから日本は何を学べるだろうか?私たち一人ひとりは、ITとどう向き合っていくべきだろうか?

例えば、自然災害から国を守る、というのはどうだろうか。日本は世界でも有数の災害大国である。いつ自然の気まぐれで多くの命が奪われてもおかしくない環境に生きている。エストニアではそれが他国からの侵略であったように、日本では自然の脅威から国を守らなければいけない状況がある。

とまあ、これはあくまで一つの案にすぎない。

大切なのは、このように目の前にあるITとそれを扱う自らに対し、なぜ?と考えるきっかけを若いうちに持つことではないだろうか。エストニアから学べることとは、例えばそんなことのように思う。

最後に、エストニアのIT化に大きく貢献した元大統領Toomas Hendrik Ilves(トーマス・ヘンドリク・イルヴェス)氏の言葉で締めよう。

エストニアの成功は、"従来の技術"を捨てることよりも、"従来の考え方"を取り除いたことである