この投稿は、2019年5月に書いて別のブログに公開していたものを一部修正して転載したものです
アメリカに住んで初めてわかった「最大級」の違い
そう、全部アメリカがいいなんて全く思わないけど、1つだけ言えることはホントこいつらポジティブで自分のやりたいことに正直なんだよ。
アメリカに住んで初めてわかった「最大級」の違い
そう、全部アメリカがいいなんて全く思わないけど、1つだけ言えることはホントこいつらポジティブで自分のやりたいことに正直なんだよ。
おれもアメリカの外資系で働くのは怖かったし、はじめは絶望の連続だった。世界一働きやすい会社でも、自分にとって最初の1年くらいは、きっとこの人が480Kgのコンテナを家のアパートの前に突然置かれて、「こんなクソ重いのどうしたらいいの?」と宅配業者に聞くと「あー、それ君のコンテナやから、君のビジネスだよ」と答えられたときと同じような気持ちで、自分の置かれている状況と、これからの暗黒の未来に絶望しかなかった。言っておくが、自分も小さな子会社とはいえゼロから100億円近い金額の事業を作ってきて、100人規模の人数をマネージメントしてきたわけでそれなりに自信はあった。けど、世界を相手にこれだけの規模で事業をするというのは何もかもが違う。完全に場違いで足を引っ張っている。「あの時サポートセンターがちゃんと注意事項を教えてくれていたら」「あのとき宅配業者がちゃんと時間通りに来ていたら」そんな風に、色々な違いにイライラすることや怒りもたくさんあった。心のどこかで「日本のいい会社から声がかからないかな、そうすればもっと楽できるんじゃないか?」「前職に戻れるように頭下げに行こうか」と思った時も何度も何度もあった。確かに最高の環境で、給与も信じられないくらい上がったけど、心のどこかで「無理だったんだよ」って思う自分がいた。
だけど、当時入社したときのオーストラリア人のマネージャーは、仕事どころか言葉すらろくにできない俺に何度も 1-on-1 をセットしてくれて、何度も日本に来てくれて、「Shohoは何をやりたいんだ?それがどうやったらできるのか一緒に考えよう。お前は確かに英語はできないから成長がすごく必要だし、日本人っぽい考え方もまだ抜けきれてないけど、魅力だったたくさんあるから一緒にやっていこうぜ!」そんなことを言ってくれて真剣に向き合ってくれた。周りのチームの人たちや、自分のメンバーたちでさえも、おれが何かをやりたいといえばビックリするほど助けてくれて、応援してくれて、率直なフィードバックやアドバイスをくれた。まさに家の前にクソデカイ荷物を置かれても「防音室だねー。エンジョイしてね!」と声をかけてきたおばちゃんや、「絶対入る。君が、このブースをエンジョイするのを楽しみにしてるよ」とアドバイスしてくれた友人、「人でを調達したほうがいいよ。ローリーは貸してあげる。」「自分にはアイデアがある。この扉のパーツは、扉が重いから、これを外せば、かるくなるからインストールできるんじゃないか?」と声をかけてきた事務所の人のように。
そして今、自分もできる限りそうしている
あるとき出張で来たアメリカ人が、すごく日本を気に入って、自分の家族や友人も気兼ねなく連れて来たいから今からマンションを見に行きたいけどどこがいいかなって言い始めたことがあった。日本人のおれからすると、知らない外国でたとえそこが気に入ったからといってマンションを突然買うなんて到底無理だよと思ったけど、彼からすれば「その場所が気に入ってまた家族や友人と戻ってきたいからお金を払って小さな家を買うってことがそんなにおかしいことかい?」というかんじで驚いていた。もちろんその場では買えるわけもなかったわけだけど、そうか、じゃあ次は準備してくるよ!といって笑って帰国して行った。そんなエピソードを思い出した。
今の会社に入社してそろそろ3年になる。3年前はニューヨークで日本のことやアジアのことについて何時間もプレゼンをしたりディスカションをしたりすることになるなんてこれっぽっちも思わなかったけど、この彼が出会ったAmazingなマッチョなナイスガイのような人たちに何度も助けられて無理だと思ってたけどなんとかここまでやってきた。
自分が誰かのAmazingなマッチョなナイスガイになれれば最高だし、次のデッカいコンテナが家の前に予期せず置かれた時に、リスクを恐れず、トンカチとドライバーを手に持ってまずは開けてみたいと思う。中に入っているものが人生を変えるくらい良いものかもしれないから。
そう、人生は受け入れるものではなく、自ら選び創り出すものなんだ。
(時差ボケ4時起きのニューヨークマンハッタンにて)