これまで英語の勉強には、iPadを使っていました。iPad Pro と Apple Pencil は最強の組み合わせだと考えていたからです。デバイスの中にたくさんの本や辞書を入れられて、専用のペンを使えばノートに書くこともでき、単語カード機能を使えば記憶を定着するトレーニングもできる。わからない単語はネットで調べて、辞書の項目をノートにコピーして貼ることも簡単、蛍光ペンやボールペンとして使える色もほぼ無限。大変便利で感動したことを覚えています。
どうも集中できないし、入ってこない
英語学習に iPad を使い始めて1ヶ月経ち、2ヶ月経つと、頭では大変便利なことはわかっているものの、どうも集中できないし、何かが違う感覚に気付きました。たしかに便利なのですが、覚えも悪いし、愛着が持てない。やる気も出ない。伸びてる感覚もないし、何かが合ってない気がしていました。ノートの書き方を変えたり、フォーマットを変えたり、教材を変えたり、いろいろ試行錯誤したのですが、やはり何か違和感がある。
仕事では Jamboard を便利に使えているのに(Jamboard は本当に便利です)、英語の勉強となると、電子ペーパーがうまく回っている感覚がしません。
なぜだろう。
仕事では Jamboard を便利に使えているのに(Jamboard は本当に便利です)、英語の勉強となると、電子ペーパーがうまく回っている感覚がしません。
なぜだろう。
ペンと紙にしてみた
そんな違和感の中で、先週大切にしていた Apple Pencil を家の中でなくしていました。1本15,000円くらいするのですぐに買い直す気になれず、家の中をいまだ探しています。
一方で英語の勉強はというと、試しに紙とペンに戻してみました。教材をコンビニで紙に印刷して、Amazonでフリクション8本セットと蛍光ペン、10年以上ぶりに筆箱を買って、勉強再開。
一方で英語の勉強はというと、試しに紙とペンに戻してみました。教材をコンビニで紙に印刷して、Amazonでフリクション8本セットと蛍光ペン、10年以上ぶりに筆箱を買って、勉強再開。
いい感じ。凄くいい感じ。
同じ教材でほぼ同じことをしているはずなのに、なぜかノートとペンだとどんどん入ってくるんです!
なぜだ???
質感ってやつなのか?
この不思議な経験をしたとき、世界的に有名な指揮者の大野和士さんが以前こんなことを言っていたことを思い出しました。大野さんはボロボロになった楽譜もテープなどで修理して同じ楽譜をずっと使っているそうです。
同じ楽譜をずっと使ってると覚えてくるんですよ。まだ修行時代にお弁当のシミがついたことがあるんです。そうすると、覚えちゃうんですよね、その曲自体がお弁当のシミを抜きには語れなくなるんですよ。何ページの、あの盛り上がってくるところに、お弁当のトンカツのソースのシミがあるとかね、自分の中でインプットされてくるんです。
なぜかは分かりませんが、iPad と Apple Pencil では感じられなかった何かを感じられるようになって、とても心地よく学習を進められています。
夏の真っ青な空や、凛と澄んだ空気、本をめくるときに感じられる微かな紙の匂い、メジャーコードを聞いた時に感じる明るさ、マイナーコードを聞いた時に感じる悲しさなど、人間が感じる「質感」のことをクオリアといいます。脳科学者や哲学者はこのクオリアがどのような現象なのか研究を進めています。そしてこれらは、人類最大の謎の1つであるとされる「心とは何か?」(心脳問題)に繋がると言われています。
なぜ同じようなことを iPad でしたときと、紙とペンを使ったときで感覚(質感)が違ったのかはわかりません。デジタルとアナログの違いなのか、慣れと変化のバランスの問題なのか、長い人生の中で脳にインプットされた心地よさなのか。理由はどうあれ、私にとって紙と鉛筆には不思議なパワーがありそうです。
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