ジョブ理論が非常に良い本だったので、エッセンスをまとめたいと思います。
ジョブ理論は、ビジネス書界でもっとも有名な本の1つ、「イノベーションのジレンマ」の著者が書いた本です。
「イノベーションのジレンマ」では、
複雑かつハイコストなプロダクトが幅を利かせていた既存の市場や産業部門を、あるイノベーションがシンプルで使いやすく安価なプロダクトをもって転換させる──最終的には業界を完全に再定義する──現象
を破壊的イノベーションと呼び、イノベーションどのように既存企業を危機的状況に追い込むのか?そして既存企業はその脅威にどう立ち向かえばいいのか?について説明しています。
企業のイノベーションはどのように起こるのか?
今回のジョブ理論では、この逆に企業のイノベーションはどのように起こるのか?について考察しています。これほどまでにテクノロジーが進化し、様々なイノベーションに関する手法が提案されているのに、なぜ企業はイノベーションを起こせないのか?それは企業がユーザーを正しく理解していないからだといいます。
ジョブ理論では、私たちが何かを購入するということは、このようなことだと定義しています。
私たちが商品を買うということは基本的に、なんらかのジョブを片づけるために何かを「雇用」するということである。その商品がジョブをうまく片づけてくれたら、後日、同じジョブが発生したときに同じ商品を雇用するだろう。ジョブの片づけ方に不満があれば、その商品を「解雇」し、次回には別の何かを雇用するはずだ。
これをジョブ理論と読んでいます。
人は何かのジョブを解決するために、何かを「雇用する」
なるほど、たしかに自分がユーザーの目線に立ってみると、当たり前のことを書いているように思えます。何か目的があり商品を手にとって対価を払ってそれを手にいれる。満足行けば使い続けるし、満足できなければ他のものを選択する。当たり前のように思えますが、ここからいかに企業がこの当たり前に対して勝手な解釈をしたり、統一化、画一化しようとして大切なことを見失っているのか?について説明されます。
ジョブとは何か?
人々が何かのジョブを解決する、このジョブとはなんでしょうか?
われわれはジョブを、〝ある特定の状況で人が遂げようとする進歩〟と定義する。
ジョブ = ある特定の状況で人が遂げようとする進歩
ここで最も大切なことは、特定の状況であるという点です。つまり
状況が変われば、人が遂げようとする進歩が代わり、ジョブが変わる。ジョブが変わると、もちろん雇用するものも変わる
ということです。
ここがこの本の最も大切なポイントで、
ジョブはそれが生じた特定の文脈に関連してのみ定義することができ、同じように、有効な解決策も特定の文脈に関連してのみもたらすことができる。
つまり
💡ジョブ理論とは? ・ 特定の状況において、人々は何かのジョブを解決する必要がある ・ 何かのジョブを解決するため、人々は何かを「雇用する」(=これが物を買うという行為) ・ ジョブは状況が変われば変化する
ということです。
具体的な「ジョブ」の例

仕事先までの長い運転中、気を紛らわせるものが欲しい。いまは朝食を食べたばかりでお腹は空いていないが、1,2時間後にはお腹が空くことはわかっている。
このジョブに対して、いったい人々は何を雇用したのでしょうか?バナナは適しません。なぜならすぐに食べ終わってしまうからです。ドーナツは手がベタベタになるし、ベーグルはパサパサしている。スニッカーズ(チョコ)は、朝から甘いものを食べることに対する罪悪感が残ります。
このジョブに対して雇用されていたものは、ミルクシェイクでした。濃くて、飲むのが比較的大変だからすぐになくならず、車のカップホルダーにちゃんと収まる。
一方で、同じミルクシェイクの雇用でも、夕方買いに来る父親が解決したいジョブは違います。
何度も「ダメだよ!」と子供に言う毎日。父親は1日に1回くらい、子供から頼まれたことに笑顔で「いいよ」と言いたい。
このジョブを解決するために、ミルクシェイクが雇用されました。
ファーストフード店で子供から「ミルクシェイクが飲みたい!」とせがまれます。食事前にお菓子を禁止している母親はここにはいません。父親は笑顔で「いいよ、買ってあげよう」言えるわけです。
同じミルクシェイクという商品の雇用であっても、ジョブは全く違います。どれだけ人口統計学的な分類をしても分類できるはずもありません。しかし、既存の企業はどれだけ努力をして無意味な分類をしようとしているのかについてもこの本の後半で語られることになります。
ジョブが違えば望まれる進歩も競合も異なる
たとえば、前者のジョブであれば、ミルクシェイクを半分の量で売ることに意味はありません。しかし後者のジョブであれば、半分の量で売ることには大きな意味があります。半分にしたからといって、子供の笑顔や感謝が半分になるわけではないからです。
たとえばミルクシェイクにチョコを追加することを考えてみます。チョコを追加することでストローで吸いづらくなるため、前者のジョブに対してチョコはいい方向に働くでしょう。しかし、後者のジョブではそんなものは罪悪感を増大させるだけです。
競合も異なります。前者のジョブであれば健康に良い野菜ジュースが競合になりますが、後者ではおもちゃ店に立ち寄ることや、キャッチボールをすることが競合となります。

ティーンエイジャーには昔から、口うるさい両親に邪魔されずに連絡をとり合いたいというジョブがある。
このジョブを解決していたのはかつては郵便であり、電話であり、電子メールであり、メッセージングアプリであり、そして現在もっともこのジョブに対して雇用されているのが、Snapchat であり、Stories です。
最も大切なことは何か?
ジョブ理論では、消費者のジョブを正しく理解することこそが最も重要な問いです。
ジョブ理論が重点を置くのは、「誰」でも「何を」でもなく「なぜ」である
ジョブそのものの理解を含めることが大切であり、解決策の方に夢中になるべきではない。
イノベーターにとってジョブを理解するということは、消費者が進歩しようとするときに、何を最も気にかけるのかを理解することである
💡ジョブ理論では、消費者のジョブを正しく理解することこそが最も重要
なぜ企業はジョブ理論を実践できないのか?
後半の第8章では、「なぜ企業はジョブ理論が実践できないのか?」という最も大切な話に入ります。
大きな成功を収めた偉大な企業であっても、顧客のジョブに集中することを忘れ、自分のジョブ(仕事)しか見えなくなることがある
これについていくつかの理由が書かれていますが、もっとも大切だと思う2つを紹介したいと思います。
- 能動的データと受動的データの誤謬
- 確信データの誤謬

そもそもジョブ理論では、必要な情報はすべて顧客が苦労している文脈の中にあります。はっきりとした構造もなく、推進者もなく、計画もありません。これを受動的データと呼びます。
受動的データ = 1人1人のユーザーの生活の中にある、はっきりとした構造もなく、推進者もなく、計画もないもの
一方で、一度片付けるべきジョブが市場のプロダクトとして出ると、文脈に基づいた受動的データは隅に追いやられ、顧客や競合からの様々な情報(勝手にどんどんやってくる能動的データ)が迫って来ます。たとえばプロダクトに関するデータや、顧客に関するデータ、販売チャネルデータ、投資に関するデータ、競合に関するデータなどです。
能動的データ = プロダクトに関するデータや、顧客に関するデータ、販売チャネルデータ、投資に関するデータ、競合に関するデータなど、サービスをリリースすると押し寄せてくるデータ
マネージャーはもちろんこれらの能動的データにすぐさま反応します。そして安堵感がもたらされます。追跡しやすく測定も簡単で、仕事のアウトプットも見えやすいからです。
曖昧で掴みづらい苦闘のストーリーから、精密かつ整然としたスプレッドシートへと関心を移したときのマネージャーの安堵感はよくわかる。そしてこの切り替えはほとんど注目されることなく組織的に行われる。
これらのデータが取れるようになったことは確かに良い面もあります。しかし、能動的データが、現実世界の姿だと誤認してしまうと、完全に間違った方向に進んでしまいます。
データはつねに現実を抽象化したものであり、その根底には、現実世界のまとまりのない現象をどのように分類するかについて潜在的な仮説が存在する。マネージャーはこのことを都合よく脇に避けてしまいがちだ。それゆえ、データは人為的なものだと言える。
業務に関するデータは自分の存在を高らかに宣言するので、マネージャーはジョブではなく数字の管理にたやすく陥ってしまう。
😱ジョブ理論が実践的できない理由1 一度プロダクトが出ると、どうしても目先のスプレッドシートの情報に惑わされてしまう
確信データの誤謬
私たちはデータを見ると、そうあってほしいというデータにばかり注目してしまう習性があるようです。わざとそうしているわけではないのに、そうあってほしいと願う世界のストーリーを語るシグナルばかりに注目します。
人間はデータやメッセージを自分が信じたいように適合させてしまう
「なぜこうなることがわからなかったのか?」と訊かれても、もともと探していなかったのだからわかりようがないのだ。
どのチームも自分の視点にとって支えとなる情報のみを注目する
そして最も重要なポイントは
数字で表した定量的データの方が、定性的なデータより客観的で信頼できると多くの人に思われている
ということです。客観的なデータとは何でしょうか?それは結局 、データを作った人が自分が信じたいように適合させて作ったものだと言うことです。
😱ジョブ理論が実践的できない理由2 人間はデータを客観的に見れない動物なのに、定量的な値のほうが定性的な値より信頼できると信じられている
データと現象は別物
データは真実を写すすることはできますが、データが表現する真実が、すべての真実ではありません。
多くの組織のなかに、数字で表したデータのみが客観的だという考えが根づいてしまっている。どこかに理想のデータがあって、それが手に入れば、顧客について完璧な知見が得られると思いこんでいる。つまり、スプレッドシートや回帰分析に流しこめる定量的な正しいデータを集めさえすれば、真実を知ることができると考えるのだ。
しかし、それは正しくありません。データは真実を写すことはできても、真実をすべて表現することなど、到底できないわけです。

ジョブ理論では、一貫してジョブの背後にあるコンテキスト(背景)の重要性を説きます。そして、大好きな第8章では、データ主義の弊害について説明しています。昨今のビックデータの流行で、データこそがユーザーの真実を映し出す鏡であるように語られることが多いですが、勝手に一括りにされて語られている膨大なデータの1つ1つに大切な物語があることのほうが、重要に思えてなりません。