Shoho Kozawa

April 14, 2023

木を見る西洋人、森を見る東洋人

木を見る西洋人、森を見る東洋人 - 思考の違いはどう生まれるか」はあまりに素晴らしく2回連続して読んでしまったほどです。全ての人にオススメできます。

この本では、西洋と東洋の異なる文化の人々が様々な文化的背景の影響を受けて異なる方法で考えていることが説明されています。興味深い点は、物事に対する考え方だけでなく、もともとの世界の見方そのものも異なるということです。これまで心理学者たちは「すべての人類は同じように物事を見ている」と前提していましたが、実はそれは間違いだったのです。

この本は、グローバルな環境で働いたり生活する際に非常に役立つ知識が詰まっています。これまでお勧めしてきた「異文化理解力」と共に読むことをおすすめします。違う文化圏で育った人と働いたり、プロジェクトを行うことがあるなら、ぜひ読んでみてください。

この本では、「西洋人」と「東洋人」の物事の見方や思考方法が異なる理由を文化的背景から説明しています。これらの違いは、古代西洋と古代東洋の哲学的基盤から始まります。

西洋社会では、アリストテレスやプラトンが個人主義、論理、分析を重視する考え方を築きました。このため西洋人は物事を考える際に対象物の属性に焦点を当て、カテゴリ分けし、普遍的な規則を見出します。複雑な問題を細かく分解し、因果関係に注目します

一方、東アジアでは、儒教、道教、仏教が全体論的で文脈主義的、関係性重視の世界観を形成する上で重要な役割を果たしました。このため東洋人は問題を相互に関連するシステムと捉え、文脈を重視します。世界は複雑で変化しやすく、循環するものと捉え、すべてのものは関係性の中で成り立っていると考えます。そのため、制御することは難しいと感じます

古代哲学の影響は、現代の西洋人と東洋人の思考プロセスにも大きく作用しています。

  • 西洋人は安定を前提として考えるのに対し、東洋人は変化を仮定する。
  • 西洋人はカテゴリを好み、東洋人は関係を強調する。
  • 矛盾した内容に直面したとき、西洋人は議論やディベートを好み、東洋人は中庸(どちらも正しい部分があるという考え)を求める。

同じ状況でも問題解決のアプローチや解釈が全く違うのです。

例えば、古代中国人は外科手術に消極的でした。彼らは「調和」と「関係」を重視し、健康は体内のバランスや器官間の関係によって決まると考えました。一方、彼らはガリレオよりも2000年早く「遠隔作用」の原理についてある程度認識していました。彼らは、潮の満ち引きが月の動きによるものであるというガリレオが見落とした事実に気づいていたのです。

これらの違いは本当にさまざまな側面で影響を及ぼしています。

自己認識の違い


西洋人と東洋人は自分の存在を捉える方法が大きく異なります。

西洋人
  • 物事を個別の要素の集合でありそれぞれを尊重
  • 自分も他者から独立した存在
  • あらゆる場面で「個性的である」と答える
  • 例えば、アメリカの学校では毎日「今日のMVP」を選ぶところがある

東洋人
  • あらゆるものは外部との関係によってのみ成り立つ
  • 自分というものは周りとの関係でしか存在しない
  • 成功は集団目標として追求するものであって、個人の栄光として得られるものではない
  • 個人の権利は絶対的なものではなく、共同体全体の権利のうちの個々人の取り分
  • 自分は特別であるとか非凡な才能を持っているなたどと考えなくてよく、そんなことよりも人と人との支え合いの中で調和を維持すること、集団の目標のためになんらかの役割を果たすことが重要
  • 目標のためには、ある程度の自己批判、つまり自慢とは正反対の姿勢が必要

東洋人は、西洋人が家族間でも感謝を述べ合うことに驚きます。

たとえば日本人の専業主婦の家庭において「ご飯を作ってくれてありがとう」とか「子供をお風呂に入れてくれてありがとう」ということを夫から言われないことに怒る話や、逆に夫が「今日も家族のために働いてくれてありがとう」とか「今月も家族のために稼いでくれてありがとう」とは言われないとぼやいているという話がよくあります。

日本人に限らず東洋人は誰もが定められた文脈のなかで明確な義務を追っているので、その義務を果たしている人にわざわざお礼をいうことはありません。つまり集団のなかで自分が果たすべき役割は決まっていて、その義務を果たしていくという考え方が一般的だということです。

個人的なエピソードを追加すると、私の会社では評価のときに会社への貢献に対して感謝されます。目標を達成したときに「おめでとう」といったあとには、大抵の場合「ありがとう」と伝えますし、私も言われます。全体会議などは大抵偉い人から「あなたたちの日頃の素晴らしい働きに感謝します」からミーティングが始まります。

これが入社したてはとんでもなく違和感でした。

私は「会社という集合の一員であり、その集団としての目標に各個人が役割として貢献しただけであり、それは私の義務である」という思考だったので、むしろ感謝されると「会社と個人」「従業員と雇用者」という関係性が必要以上に切り分けられているような印象を受けたからです。

しかし、どうやらこれは西洋文化から見るとすごく当たり前のことだったようです。最近は従業員と企業の関係はより西洋的になっていると思いますが、これはグローバル化で思考が強制的に西洋化しているのだなと感じました。

東洋人にとって、企業とはそれ自体一つの有機体である一方で、西洋人にとって企業とは別々の職能を発揮する人々がより集まった原子論的なモジュールの社会です。たとえば、あなたは下記の2つのうちどっちの仕事が好きですか?と聞いてみます。

  1. 個人の独創性が推奨され、それを発揮できる仕事
  2. 特定の個人に特権が与えられることなく、全員で一緒に働くことのできる仕事

結果は次の通りです。

  • アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリス・スウェーデンは 90% の人が 1 と答えた
  • 日本・シンガポートでは 1 を答えた人は 50% に満たなかった
  • ドイツ・ベルギー・フランスは両者の中間だった

他の例も見てみます。

例えば、子供たちに試験を受けさせる際、「自分で課題を選んでね」と伝えた場合と「お母さんがあなたの課題を選んだよ」と伝えた場合のパフォーマンスの差を調べます。結果は次の通りです。

アメリカ人
  • 自分で課題を選んだ時に最も高い学習意欲を示した
  • お母さんが選んだ課題に対して最も学習意欲が低かった

アジア人
  • お母さんが選んだ課題に対して最も強い意欲を示した

これはアメリカ人の子供にとって問題を母親が選ぶということは自主性が制限されたと感じ、課題への関心が失われたためだと分析されています。

さらに、アメリカ人と日本人の共同研究チームが、日米の成人が母親と一緒にいることをどの程度望んでいるかを比較調査しようとした際、「私は母親とほとんどいつも一緒にいたい」という選択肢を提案した日本人研究者に対し、「現実的でなく調査の信憑性が失われる」として反対されたというエピソードが紹介されています。

しかし、この傾向はもちろん環境によって変わることがあります。

例えば、日本に数年間住んでいた学者が北アメリカの大学に応募する際、願書の手紙が「自分がその仕事にふさわしくないことについての謝罪」から始まっていて、指導教官は驚いたといいます。逆に、日本人の自尊心は欧米で過ごすことで飛躍的に高まることがわかっています。つまり、環境によって思考プロセスが変わることがあるのです。

因果推論の違い


西洋人と東洋人は、因果関係について結論を導き出す方法が異なります。つまり、何かが起こった時、「それはなぜ起こったのか?」と考えるプロセスが違うのです。

西洋人
  • 因果推論を行う際、形式的な論理、ルール、原則に依存する傾向
  • 多くの事柄は因果関係を比較的単純に説明できると考え、モデル化しようとする
  • 何かが個人に起こった場合、その原因は個人の問題である
  • 人の性格は比較的固定されている

東洋人
  • 状況を分析したり問題を解決したりする際、より広い文脈を考慮し、複数の要因を組み合わせる
  • 因果関係は複雑で多くの要素から成り立っている
  • 何かが個人に起こった場合、その原因を文脈に求める
  • 人の性格は柔軟で変化する

例えば、ある殺人事件が起きた時、アメリカの記者は犯人の過去の行動から推測される特性や考え方(例えば「情緒不安定だ」など)に焦点を当てて報道します。一方、中国では犯人に影響を与えた外部要因(例えば「犯人は最近解雇された」など)を報道します。つまり、何かが起きた原因を考える際、「属性」を重視するか、「状況要因」を重視するかが異なります。

これは「予想外の驚くべき結果」が現れた時に興味深い傾向を生みます。

西洋人は単純だと思われた因果関係が予想外の結果になると「何かがおかしいのでは?」と驚くのに対し、東洋人は「確かにそう考えれば、その結果も説明がつく」と考えて、因果関係を無理に作ろうとします。つまり東洋人は「確かにその結果も想定できた」と後から思うことが多いわけです。

事象のグループ化


事象のグループ化においても、西洋人と東洋人の方法は大きく異なります。

西洋人
カテゴリーやルール、属性に注目してグループ化

東洋人
オブジェクトを関係や類似性に基づいてグループ化

すごく面白い実験があります。

中国人とアメリカ人に「鶏、草、牛」を2つのグループに分けさせた場合、中国人は「牛と草」を1つのグループとします。牛が草を食べるという関係からです。一方で、アメリカ人は「牛と鳥」を同じカテゴリにします。動物と植物という分類学的な理由からです。

同様に、「パンダ、猿、バナナ」の実験でも、中国人は「猿とバナナ」を1つのグループとし、アメリカ人は「パンダと猿」を1つのグループとします。これは、動物と食品というカテゴリで分類するためです。

この違いは、記憶、学習、意思決定プロセスに影響を与えます。

東洋人は物事の特徴を捉え、それに基づいて事象を分類するのが苦手であり、実験結果でも西洋人よりも分類能力が劣っていることが確認されています。また、東洋人は「複雑であり分類に足りる情報がない」という結論を受け入れやすく、一方で西洋人は物事は基本的に分類可能だと思う傾向が強いです。

この違いの原因の1つとして、東洋人が幼少期から物事のカテゴリを意識する機会が少ないことが挙げられます。

例えば、アメリカ人と日本人の母親が子供とオモチャで遊ぶ場合、アメリカ人の母親はおもちゃの名前を言う回数が日本人よりも2倍多く、日本人の母親は社会的な約束事を教える回数がアメリカ人の2倍多いです。

新しいオモチャで遊んでもらうと、アメリカ人は「これはクルマ。クルマをみてみて。車輪がついているね」というように名詞や属性を説明します。日本人は「これはブーブーよ、はいどうぞ。今度はお母さんにどうぞして。はい、ありがとう」といったように、世界は関係で満ちていることを学びます

論理の重要性


東洋と西洋では、論理をどの程度信用するのか?ということについても違いが生まれます。

西洋人
  • 議論の対象を文脈から切り離して考える
  • 論理的な考え方は経験に優先
  • 明確な結論を好む

東洋人
  • すべてのものは関連している
  • 議論からコンテキストを除いて議論することは不満
  • 経験や欲求が論理と対立するときに論理を優先することは少ない
  • 矛盾も受け入れやすく、中庸(AでもありBでもあるという結論)を強調

この本から学んだこと


この本は、簡単に言うと「東洋人と西洋人はかなり異なる思考プロセスを持っている」という、比較的明らかな事実を述べているだけですが、いろいろと考えるヒントを提供してくれました。

1つ目は、「なぜアメリカ人や西洋人は物事をこんなに単純化して考えるのだろう?」という疑問です。Aを行えばBに影響があり、さらにCにも影響があることがあります。多くの課題は単一ではなく相互に繋がっています。何か課題が起きたときに1つの問題だけを単独で考えて解決しようとするのはあまりにも短絡的です。これはまさに、本に記されている東洋人の典型的な思考プロセスです。

しかしアメリカ人や西洋文化圏の人と話すと、彼らは私ほど物事を複雑に考えず、個別に解決しようとします。マーケットを理解していないと思うことがよくあり、なんでわかってくれないんだろう?とストレスに感じることもありました。おそらく、外資系企業で働く人たちは絶対に「Japan is unique」という言葉を言ったことがあると思います。これは本社(主に西洋文化圏の人)と話す際に、世界があまりにもシンプルに語られることへの抵抗なのかもしれせん。

この違いの原因について、私はアメリカの雇用がジョブ型であり、他の仕事に対する関心が薄いという労働文化が原因だと考えていました。確かに労働文化の問題もあるかもしれませんが、今考えると、彼らと我々日本人の認知プロセスや思考プロセスの根本的な違いが、このような事象を生んでいるのかもしれません。

さらにこの違いは、私がいつも疑問に思っていた「なぜアメリカのIT企業は世界を席巻できるのか?なぜ日本のIT企業は世界に進出するのが苦手なのか?」という疑問にも1つの仮説を出してくれます。

私は現在アメリカ企業で働いていますが、アメリカ人と日本人の能力に大きな差があるとは思えません。もちろん、英語という言語の問題は大きいと思います。しかし、それでも西洋人と東洋人でこれほどの差を生むほど違うとは思っていません。

しかし、実際には多くの世界的企業はアメリカから生まれたり、アメリカで留学した人が設立した会社であったり、アメリカの文化圏で育ったり学んだりした人がオーナーだったり、アメリカ文化圏にいることが世界で大きく成功するための前提条件となっています。

なぜアメリカ文化が事業創造にこれほど有利なのか?もちろん多くの要因が考えられますが、少なくともアメリカだけではなく多くの西洋人は、世界を我々よりもはるかにシンプルに捉えているからなのかもしれません。本書の内容を踏まえると、きっとアメリカ人にとってあるサービスをアメリカ以外の国へ展開することを我々よりもはるかに小さな問題であり、多くの事柄は共通であり、課題は切り分けられるし、相互に絡み合わないと考えているのだと思います。

私はよく「グローバルにどのように展開すれば良いか?」という質問を受けます。多くの日本企業は、韓国やシンガポール、アメリカ、ロンドンなどでビジネスを展開することは大変なことで、そこでビジネスをするというのは本当に日本とは全然違うと考えています。東洋人にとって未知の世界である海外でビジネスを展開することは、どのような影響が出るか全くわからない、非常に恐ろしく複雑で難しいことだと思われがちです。

確かに、それはある意味正しく、実際にはすべての文化圏がかなりの違いを持っていることは誰もが実感していると思います。

しかし、そうだとしても、私たちは世界をあまりに複雑に捉えているのかもしれません。仕事でもプライベートでもグローバルな環境で何かをしようとするときに、必要以上にリスクを感じたり、現実よりも大きな難しさを想定したりしている可能性があります。そのため、そもそもやろうと言う意思決定が難しかったり、たとえその意思決定をしても、非常に綿密な準備を必要として、リスクを最小限にしようとします。それは現代の世界のダイナミクスを考えると、スピード感やトライ&エラーの回数に大きな影響が出てしまうのでしょう。

これが、過去数十年間でアメリカ企業がIT産業で世界を席巻してきた大きな理由の一つなのではないかと考えています。

アメリカ人にとっても、日本人にとっても、世界の実態は同じはずですが、それを捉える方法がこれほど違うため、実際には同じものでもまったく違うものとして扱われてしまいます。

この本にも書かれているように、決して西洋の思考プロセスが良いとか、東洋の思考プロセスが良くないという話ではありません。しかし、この違いを理解できたことは非常に重要で、自分の中に文化的な無意識のバイアスがあることや、自分の思考プロセスがその影響を受けていることを意識できるだけでも、この本には大きな価値があると考えています。

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